一転して空を飛び空撮を始めた次の時代のエピソード2

1998年頃より社会の景気が低迷し始めるに連れて一旦芸能活動は休止し子供の頃からの夢であった空を飛ぶ! という夢をモーターパラグライダーを使って実現し始める。どの様に練習すれば上達するかは津軽三味線の稽古のノウハウを知っているので上達は早く後続の者達に無料で指導を始める…。

東北大地震が起きる前の原発近くの港で撮影。

これはその時の原発近くのフライト写真

当初は趣味で始めたパラモーターだったがやがてフランスアドベンチャー社の日本総輸入代理店になり以下の様な機材をアドベンチャージャパンとして輸入販売する様になります。と同時にプロのインストラクターとして入門者のフライト指導をして多くの人達を飛ばしてきました。

テレビ番組の空撮協力も始める!

1998年に日本総輸入代理店としてアドベンチャージャパンを設立し自らWebサイトを構築し宣伝を始める。そこからパラモーターを使った色々な仕事の依頼が国内、海外からも舞い込む様になり数々のテレビ番組での空撮の仕事が入る様になります。この頃は未だドローンが出現していない時代でした。各テレビ局も私の制作したホームページを見てアクセスしてきました。

2006年11月頃に放送された「芸人魂ガチレース!」の番組。HGラモンやバナナマン日村、フットボールアワー岩男、ブラックマヨネーズ吉田などのタレントがバナナボートに乗り逗子~江の島間を走り無事に着いた者が勝者という企画もの。その様子を空から撮影するのが私の役目でした。

番組冒頭出演者の紹介シーン
空撮をする為に逗子の海岸で準備をする私。
タレントがバナナボートに乗りいよいよスタート

実はバラエティー番組でモーターパラを使っての海上空撮に成功しているのは日本で私が初めてでした。でも現在ではこんな危険を冒さなくてもドローンで簡単に撮影出来る時代になっています。今2021年ですから15年も前の話になります。

実際に私が上空から撮影しいるシーン
水面すれすれまで降り低空飛行でバナナボートを追いかけます。
私のグライダーが万一着水した場合に備えて下ではジェットスキーが並走していて万全を期しています。

以下の写真はレインボーブリッジの下をモーターパラで飛んだ写真ですがこれも日本で初めての事でした。勿論、事前に各関係機関に飛行許可を取っています。これは2008年1月6日正月のフライトですがアメリカ某映画の事前調査撮影というのが申請内容だった様です。下の画像は写真になっていますが実際は動画です。

その他、BSの番組でも以下の写真の様に棚田の撮影やアファンの森の空撮、イギリスのある広告代理店が私のホームページを見て空撮の依頼をしてきたりと様々な撮影をやってきました。

山形の棚田の空撮。こうした山間を飛びぬけるのはかなり危険だった。
東京新木場にあるクラブに夜若者たちが集まるイベントを開きその上空をクールたばこの宣伝の為にフラッシュを炊いての夜間飛行して驚かせる企画。グライダーの内側にKOOLのロゴを入れて飛ぶ予定だったが予算が掛かりすぎるのでロゴマークは無しでフライトのみを実施。モーターパラで東京上空を夜間飛行したのも日本で私が初めてである。
BS朝日の番組であのHGニコル氏が運営するアファンの森
これも森の上空を飛び撮影した。

ホームぺージの凄さ!

実は芸能をやっている時代はホームページを持てる時代ではなくスカイスポーツビジネスを展開していく時に初めてWebサイトを自分で作りました。これによりアドベンチャージャパンという私のビジネスは世界とつながる様になりヨーロッパ、アメリカ、果てはイラク戦争真っただ中のバグダッド駐留のあるアメリカ兵からもメールが届きました!彼が持つエンジンユニットを誰かに売って欲しいという内容でした。彼は実は横田基地所属の在日軍人でした。2~3年後にアメリカへ帰国するまでの数年間親交を深め彼の帰国後の結婚式にアメリカまでお祝いにかけつけたほどの縁を築く事が出来ました!

ホームページというのはこの一例の様に世界ともつながるまさに凄い力を持っている事を証明しています。ですのでWebサイトを持つ事は世界に自分の存在を知らしめる事になり逆にサイトを持っていない事は自分がこの世に存在してないのと同じ事なのです。