臆病な自分との闘い

自分は元来生まれつきの臆病者である。生まれてから30代になるまでとにかく臆病で人前で歌を歌う事も恥ずかしくて歌う順番が回ってくる時などぶるぶる震えているほど酷かった。

20代で用車で務めていた会社の宴会で一人ずつ歌わされる羽目になり人前では自分をさらけ出すことなど到底出来る人間ではなかった。スナックに飲みに寄った時でもホステスの女性とすらしゃべる事が出来ないほどでママさんからは随分おとなしい人ねと冷やかされていたものだった。

そんな男として意気地の無い自分を変えたのは芸事を始める事によって変える事が出来たのである。

自信が度胸を生む

しっかりと自分の身につけた芸というものは自身を助けてくれるものである。だから何事も一生懸命にやりそう簡単に人には真似の出来ないほどの芸やスキルを身に着ける事が肝心だ。中途半端では駄目だ。ほ~、凄いね~と言わせる事だ。

実は一見臆病と思われる人と言う者でも目立ちたい気持ちと恥ずかしい気持ちとが競り合っているのだ。才能というものは誰しも潜在的に持っているものでそれをうまく自ら引き出してやることが肝心だ。だから十分な勉強と練習や稽古が自分に自信を付け何事も臆病だった自分を前に押し出してくれるようになるのだ。

プロフェッショナルとは…

それには歌でも踊りでも楽器でも運動でも絵画でも書道でもプロになりたいと思ったら1日3時間以上は勉強、練習しなければ駄目だ。やる人は寝食を惜しんでやるしそれが好きな事であれば苦痛にはならず何時間でもやれるものだ。プロフェッショナルというのは通常人が働いている時間を練習や稽古を積み重ねている。だからプロなのである。

フラメンコ界の巨匠と言われたカルロス・モントウヤは誰かお客が家に訪ねて来た時でもギターを離さなかったという逸話がある。また日本で初めて国際的に活躍したプリマと評され、「東洋の真珠」と謳われた森下洋子も一日どれくらい練習するのですか?と聞かれた時に毎日8時間は練習すると言っていたそうである。だからこそ日本人で世界のプリマドンナになれたのである。

自信が無い !

よくいろいろな場面で誰かに自信がありますか? と聞かれて、”いや~自信が”ありません”と言うのは練習の絶対量が足らないと言うことだ。つまり100回練習しなければいけない事を50回しかやっていないという事が自信の無さにつながっていく。これでもかと飽きるほど練習や稽古を積むと自然とそれが自信となり俺の私の演奏を、歌を、パフォーマンスを見せてやるぞ!になっていく。つまり自信をもってやれるという事になる。読書100篇、その意自ずから通ずである。

ストリートライブ!

でも踊りでも演奏でも自分の実力を試すには路上ライブをやるのが一番だ!駅前など人通りの多い場所を選んでやってみると良い。多くの聴衆の耳は決して馬鹿ではない。本当に実力のある演奏や歌声は人の足を止めるものだ。歌でも演奏でも人の耳に心地よいものであれば道行く人の足が止まり聞いてくれるしお賽銭も投げ入れてくれる。

私の場合でも花見の時期に上野公園の入り口付近で津軽三味線の演奏を二人でやり、あっという間に1000人近くの人だかりが出来て上野警察の私服刑事が自分達の所に来て「君たちもう少し後ろに下がってやってくれないか!」と言ってきた。それは公園入口から上がってくる通行人が多くの人達が我々の周りを囲んでいたので通行の邪魔になっていたからだ。

この様に通りすがりの人達が聞いてくれる見てくれるという事は自分の実力を認めてくれている事に他ならない。人様の心を感動させなければ例え1円の金でも投げ入れてくれないものだ。だから路上ライブは実力試しにはもってこいの場所なのだ。

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