スタートは芸人・津軽三味線奏者

1980年に津軽三味線演奏家として全国大会で入賞を皮切りにプロ活動を開始。その後、芸能企画を中心としてOKプロモーションという個人プロダクションを設立。幅広く芸能タレントを起用し有名企業をはじめ数多くのイベントをプロデュース。

プロダクション事務所としての軌跡

■横浜信用金庫・預金高1兆円達成イベントを横浜パシフィコ国際会議場で1300名の全行員を集め開催。このイベントをプロデュースし成功裏に収める。

横浜パシフィコ国際会議場
当時テレビで大人気のコント山口と竹田君のコンビを総合司会に起用。

■角川書店優良企業感謝招待会のイベントを熱海ホテルニューアカオ全館貸し切りで開催。この時OKプロではカジノをプロデュースしバニーガールをこちらで用意。カジノ企画のアイデアは面白いという事で受け入れられました。

カジノ会場の入り口デコレーション。勿論、現金はかけず勝者には景品を用意されていました。
熱海ホテルニューアカオ。当日は角川書店様が全館貸し切りにした。

自分がしかけるイベントの広告デザインは自分で作る

中小の企業イベントを多数手がけ信頼を得て毎年レピートを頂く様になっていきます。それに伴って自社OKプロの宣伝企画を外注せずその頃より自らデザインを手がける。

現在、サブスクで使っているAdobeのデザインソフトなど当時は無く買い切りでとても高価で手が出ませんでした。安もののドローソフトを使って広告を制作。(以下は岐阜での民謡イベントを企画した時のポスターデザインの一例)当時はノンデザイナーだったがどうしたらインパクトのあるデザインが出来るか?そんな事ばかり考えていた…。

■左は事務機メーカーとして一流のオカムラ製作所追浜工場のイベントを手掛けた時の進行台本の表紙デザイン。各ジャンルのタレントやパフォーマーのすべてを手配しセッティングと進行をプロデュース。

追浜平安閣でのオカムラ納涼祭の一コマ

結局デザインワークは20年も前からやっていた

以下はIllustratorのデザインソフトが無い時代にドローペイントソフトで描いた空気清浄機取説のグラフィック作品。初めて人様の依頼品を制作した20年前の作品。またこの商品のタイトルロゴも初めてデザインした。

自らはデザイン専門学校等は出ておらず独学で勉強し実践に合わせて自社のみの広告デザインに集中。以下のイラストは20年前に初めてある企業から依頼されて空気清浄機の取説に記載する為に描いたグラフィックだ。イラストレーターではなく値段の安いCorelのドローソフトで描いたもので今更ながら自分でも20年前によく描けたなと驚いている。この頃はプロデザイナーとしての意識はなくまだ演奏家の仕事が中心でデザイナーとしてアドビソフトを使い始めたのはかれこれ7~8年前からである。

経営と宣伝は常に2人3脚

独立事業主というのは常に自分のビジネスをより発展させる為には自社の宣伝広告を如何に広く世間に知って貰うかという事に悩まされる問題。自分自身もそうでした。Facebookやインスタだけでメインのサイトが無ければ誰かが検索してもヒットしないという事になります。SNSでご自分を宣伝しそこからご自分のサイトに誘導するのがベストです。